自己紹介&これまでの人生&ブログの概要
初めまして!!
現在ニュージーランドにワーホリ中のらっちょんじん。(@chunichiblog)と申します。
記念すべき一記事目は安定の自己紹介から。
この記事を読めば分かりますが、僕は明らかに英語、海外生活からかけ離れた人生を送ってきました。
まだ若いですが、日本に住んでいては経験できないことをたくさん経験してきました。
いいこともあれば悪いことも。ただそれは日本から出ないとできないんです。
普通に就職して生きていたらこんなに楽しい人生になっていなかったと思います。
今の生活に満足していない方へ
「こんなやつでも海外にいるんだな。俺(私)も行ってみようかな。」
と1人でも多くの人に思って頂いて、海外に行くことのハードルを下げるためにこのブログを始めました。
海外に行くことが当たり前になってほしいと心から思っています。
7000文字の大作ですが、飽きずに読んでいただけると幸いでございます。
目次
- らっちょんじん。の基本情報
- 学生時代
- 高校卒業後
- 19歳の5月、初の海外
- セブ島へ語学留学
- フィリピン留学後
- カナダワーホリ ~人生初めての挫折~
- カナダから帰国後
- ニュージーランド(現在)
- 今後
- ブログ名
- このブログの概要
- アフィリエイトリンク
- 広告配信
- 最後に
らっちょんじん。の基本情報
改めまして、名前はらっちょんじん。(@chunichiblog)、現在22歳の元スロプロ(スロットの収益のみで生活していた)で、現在はニュージーランドにワーホリ中です。
海外経験はフィリピンのセブ島に3ヶ月間語学留学、カナダに7ヶ月間ワーホリ、ニュージーランドに1年間ワーホリしていました。(2018年5月現在)
6月~7月からオーストラリアに2年間ワーホリ、その後50ヶ国を目標に世界旅行する予定です。
ニュージーランドから1つ年下の彼女と一緒に旅しています。
スポーツ経験は小学校で野球、中学でテニス、高校では部活に入らずバイト三昧でした。
高3のときに野球部を引退した友達などと草野球チームを作りましたが、すぐに消滅。
そして僕の育った町”愛知県大府市”はボウリング(レーン数世界一のボウリング場)とカラオケ(3時間ドリンク付き500円)以外にやること、行くところがなく、ボウリングは週2で通っていた時期も...
その頃は7ゲームのアベレージが200超えるときもありました。
ニュージーランドにいるバックパッカーNo.1の腕前と自負しております。
学生時代
小学生時代は(家族に)神童と呼ばれ、テストでは100点以外をとるとお母様に怒られるほどでした。
小学校6年生の冬に親が離婚し父親側へ。
母親の重圧から解き放たれた結果、中学での成績はひどく落ち込み中2のときは体育以外「2」以下という成績に。
そのまま家から一番近い高校(定員割れ)に入学。
この高校で人生唯一の反省文を書くことになり、理由は”喋りすぎ”とのこと。
この頃はでかい声で話すのがカッコいいと思っていて(黒歴史?)、その名残なのか今も声がでかいです。
「お前はやればできる!」
と中学時代から6年間言われ続けましたが、やらなくてもなぜか追試などは受ける必要のないくらいはできたので、特に何もやらずに中の下くらいの成績で学生生活を終えました。
乏しかった勉強面とは反対に友達には恵まれていて、学生時代は毎日グループが変わるといってもいいくらい”浅く広く”のスタンスで付き合っていました。
その結果、22歳の誕生日にきたラインはおばあちゃんだけとなってしまいました。おばあちゃんありがとう。
今学生の方は”狭く深く”友達と付き合うようにしましょうね。
高校卒業後
一応車関係の工場に就職しましたが
- 喋れない、つまらない
- 同じ動きばかりで頭がおかしくなる
- みんな死んだ魚のような目をしている
などの理由から1ヶ月で退職。
その後高校1年のときからやっていたバイト先に出戻り。
そこで出会った2個上の先輩がスロットで稼いでいることを知り、色んなスロプロのブログを読んだり、スロット専用のTwitterアカウントを作って情報収集したりして、半年間程バイトと兼業し、その後バイトをやめスロットだけで生活していました。
このときが人生で1番勉強に時間を費やした時期で、1度も月の収支がマイナスになることはありませんでした。
「先生、やればできたよ!!」(絶対違う)
19歳の5月、初の海外
スロットで稼いだお金でフィリピンのセブ島へ語学留学を決めました。
実は出発の1,2ヶ月か前に車を買ってしまい(完全にアホ)、出発の1週間前に手持ちのお金は3万5000円となっていました。
このままじゃやばいと19歳の僕がとった行動はもちろん
「スロットで増やそう」
でした。(頭いかれてるなあ)
月で見るとマイナスになることはありませんでしたが、もちろん負けることだってあります。むしろ負ける日のほうが多いです。
しかし人間窮地に立つと力(運気)を発揮するもので、このお金は1日で14万円に増えました。
このとき負けてたら人生どうなってたんだろ。と今思い返すと震えが止まりません。
セブ島へ語学留学
留学に行く前に勉強するのはズルい、ザコのすること。と訳の分からないプライドを持っていた19歳の僕は、中学英語すらできない状態でセブ島に到着。
ルームメイトがオーストラリアワーホリ経験者で、いきなり英語で話しかけてきて1つも理解できなかった後に日本人ということが発覚。
若さゆえに殺意を覚えましたが、次の日がテストのためその日はシャワーを浴びてぐっすり。
そして次の日の朝なんと携帯が時差に対応できていなくて、いきなり1時間の遅刻をしてしまいましたが、テストの結果は10段階で4でした。(10が最高)
「あれ、意外とできるやん?」と調子にのって初めての授業へ。
先生「Introduce yourself」(自己紹介して)
僕「???????????????」(おい、英語喋れや)
このときの僕はこのIntroduceという単語の意味が分からずに、一緒のグループにいた日本人に助けてもらいました。
そんなレベルで1人で留学を決めたのです。
最初の1週間は睡眠欲、食欲などすべての欲が帰りたい欲に変換されるほどホームシックでした。
しかしこの男、ここでもやらなくてもできる能力を発揮。
1週間後には少しずつ聞き取れるようになってきて、友達もたくさんでめちゃくちゃ楽しんでました。
こいつはいつ挫折するのであろうか。最初の挫折が心配でしょうがない。
3ヶ月間は基本同期の日本人と韓国人と一緒にいて、授業以外のときは60%くらい日本語で生活していました。
それでも先生や他のアジア人達とは喋れるようになったので、僕みたいに基礎を学ばなければならない人にはおススメの環境です。
この調子で3ヶ月を終え、最後は大泣きしながらタクシーへ乗り込み帰国しました。
フィリピン留学後
3ヶ月で英語が完璧に話せるようになると信じていた19歳の僕は、さすがにこのレベルでは満足していませんでした。
映画で見るような会話ができるレベルにはほど遠く、憧れていたアメリカ英語を学ぶためカナダへのワーホリを決意。
この頃の僕は異常に焦っていました。
「早くカナダに行かなければ英語をわすれてしまう...!!」
大した英語力もないくせに考えは一丁前です。
留学直前に親が仙台に転勤していたので、初めての東北上陸。
とりあえずお金が全くなく、友達も0人だったので「オクトーバーフェスト」というビールのお祭りで2週間バイトし、数人の友達と10万円くらいのお金を手に入れました。
このお金ですることはもちろん「スロット」
そしてまたもや奇跡的に1ヶ月で35万の貯金に成功!!
この男、ほんとに持っている。どこかのハンカチの王子様より持っているのでは。
その後買ったばかりの車を泣く泣く20万円で地元の友達に売りつけ(60万円で購入)、新しくできた仙台の友達がお別れパーティーまで開いてくれて、10月にカナダへ無事渡航するのでありました。(仙台滞在期間約1ヶ月半)
カナダワーホリ ~人生初めての挫折~
セブ島でできた友達がバンクーバーにいるということなので、とりあえずバンクーバーへ。
セブ島留学でお世話になった方にエージェントを紹介してもらい、その方のおすすめで最初の1ヶ月はホームステイすることに。
初日にハロウィンパーティーが開かれ、ホストファミリーの友達の家族が来ていて総勢20名ほど参加していました。
とりあえずテキーラたくさん飲まされるわ、地下に連れてかれて葉っぱ吸わさせられるわで正直あんまり覚えていません。
この国イカれてる!!楽しくなりそう!!と期待を膨らませていたこの頃。
しかしこの初日がカナダワーホリのピークになろうとは...
その後は友達と遊びながら仕事を探そうかと、ローカルの仕事ばかりにレジュメ(履歴書)を適当に配り歩いていました。
なんの返答もないまま気づけば1ヶ月が経って、さすがにそろそろお金がヤバくなり、絶対日本食で働くもんか!というプライドを捨て、友達が働いていたラーメン屋に入れてもらいました。
ただそこがしんどすぎました。そこを1週間でやめ、ネットで募集していたウィスラーの日本食レストランでの仕事が決まりました。
この頃の所持金は8000円。
英語しか話さねえととんがっていた若き日の僕は明らかに日本人を避けていました。日本食レストランで働いてるのに。
ただそこで出会った30歳の方に
「出会いを拒めば、人の成長は終わる」
と言われ、僕は次第に心を開いていきました。
その後ローカルのレストランの面接に受かって、掛け持ちしながら計4~5ヶ月間をウィスラーで過ごしました。
そこでできた貯金で友達と電車でシアトルまで旅行したり、カルガリーにいる友達に会いに行ったりして次の目的地”バンフ”に到着。
日本人だらけのホテルでの仕事が決まり、他の日本人と比べ英語ができたので、ハウスマン(ハウスキーパーのリーダー的存在)候補としてハウスキーパーに。
そこで1週間が経った頃事件は起きました。
ある日の昼休憩に呼び出され、僕のボスがかなり怒った表情で待ち構えていました。
何事かと思ったら、僕がチップだと思って財布に入れたお金はチップではなくお客様がお怒りだそう。
ああ、それは悪いことしたな。と思って謝って全て返した途端、
「もう明日から来なくていいよ。2日後に荷物まとめてアコモデーション出てって」
はあああああ!?!?!?!?!?!?!
突然すぎる解雇通告。
クビを宣告された男たちの出演オファーが来てもいいくらい。
その頃カナダでの生活に全く満足できていなかった僕は、これから頑張ろうと意気込んで張っていた糸がぷつりと切れ、日本行きの航空券を予約。
約7ヶ月のカナダ生活は不完全燃焼どころか、まだ燃え始めてもいない状態で幕を閉じました。
カナダから帰国後
2016年の5月半ばに帰国。
カナダで得た貯金でまたスロットをやろうと思い、パチンコ屋に向かった僕は驚愕しました。
知らない台が多すぎてどうしようもない...
手探りで始めた結果10万円ほどなくなってしまい、これは無理だと諦めてビアガーデンでバイトを始めました。
そこで一緒にバイトをしていた1人の女性(のちの彼女)に心を奪われ、しかもその子が専門学校卒業後にニュージーランドに行くとのこと。
ニュージーランドかオーストラリアで迷っていた僕は速攻ニュージーランド1本に決めました。(単純)
9月に無事付き合うことができ、色んな所を旅行したりしていたらいつの間にか4月になっていました。(アホ再来)
何ヶ月か働いたら出発するつもりが、もうすぐ1年です。
しかもまだ貯金が足りなかったので2人で1ヶ月半リゾバをし、6月にニュージーランドへ。
ニュージーランド(現在)
カナダワーホリの経験をもとに、今回はエージェントを使わず自分でビザを申請。
「積極的に会話に参加する」をテーマにニュージーランドに到着。
カナダで一緒に働いていたカナダ人やイギリス人と会話しているとき、基本相手の話を聞くだけで精いっぱいでとても会話とは言えないものばかりでした。
到着初日からガンガン話しかけ、何でもいいから「Ah,Yeah」以外の文、言葉を発するように意識しました。
主にファームでニュージーランドを過ごしてきた僕は日本人といる機会がかなり少なく、僕の英語力はどんどん向上!!
これが求めていたワーホリや...とほぼ1年間をめちゃくちゃ楽しんで滞在しています。(2018年5月12日現在 残り1週間)
僕のニュージーランドでの生活は他の記事をご覧ください。
今後
5月22日に帰国し、2~3週間ほど滞在予定。
その後お金があればタイでダイビングのライセンスを取りに行って、オーストラリアへ2年間ワーホリ。
オーストラリアの後は1年以上かけて世界一周(50ヶ国目標)予定。
ブログ名
”ITCHY FEET”というのは
「旅に行きたくてうずうずする....!!」という意味のidiom(熟語)。
詳しくは全てこちらの記事に。
ブログ名を考えるときは我が子の名前を考えるように - ITCHY FEET
このブログの概要
このブログでは、大きく分けて3つのトピックを主に更新していこうと思います。
田舎でのワーホリ情報
まず第一に、僕は都会が大嫌いです。
バンクーバーに1ヶ月半、ウエリントンに2ヶ月住みましたが
つまらん&ストレスのオンパレード!!!
こんなんなら日本でもできるわ!!と思うことが何回もありましたので、ワーホリしている間は一生都会に住むことはないでしょう。
というわけで、田舎で仕事を探す方法や、仕事の内容、田舎の良さなどを語っていきます。
ガイドブックには載っていない観光情報
せっかく1年間以上ニュージーランドやオーストラリアに滞在することができるので、
ニュージーランド(オーストラリア)の地名 観光
と検索してもヒットしないようなところも紹介できればと思います。
ニュージーランドは何個か情報ゲットしたので、お楽しみに!!
もちろん有名どころもきっちり紹介!!
0から始める英語勉強法
僕は勉強が大嫌いでした。
先ほども言いましたが、選んだ高校は家から一番近い毎年定員割れのバカ公立高校。
そこでも真ん中~下位の成績でしたが、そんな僕でも今
英語喋れます
文法やボキャブラリーの数は頭のいい人達とは比べ物にならないくらいゴミです。
これは今までサボってきたツケなんでしょうがない。
それでも少しだけ勉強して、英語で会話して外国人の友達がたくさんできました。
基本をおさえていれば、ある程度のところまでは勉強なんて必要ないんですよ。
たくさんの国に友達を作ることができるのがワーホリの醍醐味の1つでもあるため、どの国出身の人とも話せるくらいの英語力はつけたいですよね。
そのためには会話をするしかないんです。
基本だけおさえたら後は会話に時間を費やしましょう。
その環境(外国人が多い)を作りやすいのがファームのため、僕はファームを移動しながら生活しています。
とりあえず外国人の友達が欲しい人は、最初に基本だけ頑張って勉強しましょう。
僕はカナダで空いてる時間にできるだけForestで勉強していました。
基本の文法を図で分かりやすく説明されているんで、かなり早く覚えることができました。
アフィリエイトリンク
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最後に
こうやって文に起こすと、19歳~20歳の自分アホだな~と身に染みて感じますね...
今はやっと色々と視界が開けてきて、大人になりつつあるかな~。
このブログは、世界一周するまでの3~4年後まではとりあえず頑張って続けようと思っています。
This blog gives you "ITCHY FEET".
このブログでは「旅に出たい!」と思う人が増える記事をガンガン更新予定ですので、お楽しみに!
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